陋見漫録

学窓に惟ふ。

我が精神と昭和歌謡との関連に就て

 各位は「懐メロ」という言葉をご案内の事と存じます。テレビを見ていても(とは申せども私は殆んど見る事はありませぬが)時折耳にする事のある言葉であると言えましょう。当節懐メロという言葉で以て形容せらるゝ楽曲の中には、将に二十年の歳月を経んとする2000年代劈頭の楽曲さえ含まるゝであろう事は想像に難くありません。

 

 然しながら「元祖懐メロ」とでも申しましょうか。とにかく原初の意味における懐メロとは、一体明治維新から1950年代までの(童謡・唱歌・軍歌・戦時歌謡等を含む)歌謡曲を指すものに他ならなかったのであります。

 

 私は、この真なる意味における懐メロというものを、凡そ他に比すべからざる程に愛好し、かつこの上もなく愛慕しております。

 

 輓近、私はふと「何故私は斯くまでもこの様な時代の歌謡曲というものを好むところとなったのだろうか」という一つの疑問を思い浮かぶる様になりました。そこで、その要因として自分なりに導き出したる一つの答えをば、この場において開陳してみようと思います。

 

 「私は古い歌が好きだ」この様におっしゃる若年の方々は決して極端な少数派などと呼称し得る程度の僅少に限定せらるゝものではありません。そこかしこに発見する事が出来ます。これは偏にインターネットの功績と断ずる事が可能なもので、前述の如き私の「元祖懐メロ」好きもまたインターネット無くして成立する能わざるものであった事は言を俟たないのであります。

 

 ところが、私の肌感覚(現実の周囲やネット上も含めて)で申すところ、この様な方々は概して遡っても1960年代までの歌謡曲が好きな人間で打ち止めされてしまい、1950年代以前となりますとまるでその姿を見る事が出来なくなってしまうのです。

 

 これは一体どういう事が原因であるのか。私は正にこの点において前述の疑問の回答を導出するに至ったのであります。

 

 1950年代と60年代というは、丁度SPレコードとEP・LPレコードの変遷せらるゝ節目にあたる時代でありまして、音楽的にもそれまでの垢抜けぬ、泥臭く感ぜられたものから戦後の洋楽の大量流入(固より戦前から洋楽は入流して居りましたけれども、戦後はいよいよこれが強化せられたのであります)の定着とある種の洗練とによって、音楽全体がますます都会的かつ垢ぬけたものに変化していった時代でもあります。

 

 実際のところは斯くまで明確に時代を分断せしむる事は出来ませぬ。戦前よりジャズレコードはありましたし、50年代にもロカビリーブームがあり、また逆に60年代以降にも「演歌」という泥臭さの極に達せる音楽分野が誕生しておりますからして、必ずしもこの画期を絶対的のものとすることは能わざるところですが、当節の若人からして受け入るゝ事の可能なる音楽が、従前の時代と比して爆発的の増加を見たという点で大なる変革の存したる事は、凡そ見紛うべからざる事実であろうと思います。

 

 更には前述の如く、SP、EP・LPレコードの変遷という、媒体的の変化をもその所以として挙ぐる事が出来るかもわかりません。「SPレコードの猶身を削るが如き響き」という台詞が一聴凡てを体現して居る如く感ぜられまするが、大量の雑音と、LP盤等に比してモノラルと低音質とに甘んぜざる能わざるSP盤の音の響きは、やはり当節の若者にとっては凡そ耐え難い音質であるのでしょう。これは白黒映画と総天然色、白黒テレビとカラーテレビの違いに然も似たりと言えるでしょうか。

 

 やはりこうした種々の相違が互いに相作用しあって、50年代以前を「戦前」や「戦後」、60年代以降は「昭和」という時代の概念に変化せしめてしまったのではないでしょうか。

 

 となれば、私の最初の問いに対する答えは「50年代以前(戦前戦後という概念の時代)の音楽を好むところと為す精神」そしてその精神を「何故保持しているのか」という事の説明によって全きを期する事が出来ると考うるのであります。

 

 思えば、嘗て、1970年代までの日本と言えば未だ発展途上であり、国中に貧しさに喘ぐ光景が散見された時代でありました。

 

 角栄登場以前と言えば、地方は満足に道路整備もせらるゝ事無く、戦後に建てた木造家屋は風呂も無ければ、便所は汲み取り式を擁する貧相なものばかりで、そうした現在の貧困や格差を優に上回る極貧と窮乏の様相が日本中に山と存在していたのであります。

 

 こうした景色は時代を下る毎にその数を減少せしめてゆき、80年代に入ると大勢として表に露出するという事は無くなりました。60年代、実際に貧困なりし地方より大挙して以て上京した若者たちが歌った数々の歌には、真に地方の実情というものが想いとして込められておりましたけれども、この時代になりますと「俺ら東京さ行ぐだ」の如く最早地方の貧困や後進性は戯画化せらるゝ程度のものになっていたのであります。

 

 さても特に貧しかった1950年代以前。大きなビルや見事に舗装せられた道路や雲霞の如く押し寄せ走りゆく自動車の数々も、田舎の人間たちには夢物語か絵巻の中でしか見る事の出来ぬ光景であったあの時代。人々は都会的で洗練され、垢ぬけている(如く感ぜらるゝ)強力に洋楽的の旋律の濃い音楽や、あるいは洋楽そのものではなく、ヨナ抜きや田舎節、都節、民謡浪曲の影響を受けたような短調で素朴である歌謡曲を大いに聴き、好んだのではないでしょうか。

 

 特に戦前の日本は甚大な貧困を抱えておりました。五大国の一角、世界的には一等国とはいえ、貧しい家は娘を売り、倅は奉公に出され、電気の通わぬ村々も珍しくない時代であります。斯の如き時代において、一部の大都市を除けば、その家々から聞こえ来る音楽の旋律が(電子音楽などの発展は抜きにして)現下若人たちが愛聴してやまぬヒット曲の数々の如くであろうと、何を以てか考うる事が出来るでありましょうか。

 

 これ等の時代の歌謡曲の数々に(固より明朗なる歌曲も多々ありますが)哀しい曲調のものが多いのにはその所以があります。素朴で、泥臭く、垢抜けず、一聴「ダサい」「古臭い」と感ぜらるゝにも理由があるのです。何よりもこれらの歌謡曲を聞いていた人々こそが、垢抜けず、泥臭い精神をもった人々だったればに他ならないのであります。

 

 既にして、日本は絶大の経済的成長を遂げ、世界に冠たる総生産第2位、3位の地位を占むるに至ってはや数十年。如何なる辺境、辺鄙なる地方にさえ道路は整備され、遍く水洗便所と下水道は行き渡り、最早風呂を擁さぬ家屋は無理に捜索をせねば見付からぬ時代となりました。

 

 今高台からこの茫漠たる大都市の姿を眺むれば、家も、土地も、人々も、嘗ての時代とは比べ物にならぬ「清潔さ」を持つようになった事、一瞥以て了解する事ができるのであります。

 

 今やSP盤時代の歌謡曲が受ける事などありません。上記の如く、時代が貧しさと泥臭さとを払拭せしめてしまったからであります。今を生きる中年以前の世代には、最早嘗てあの歌謡曲を興隆させ、日本中において唱和せしめた精神構造は全く存在していないのであります。そして、況や私と同世代の大学生前後においてをや。であります。

 

 そう思うにつけ、私は強烈なる疎外感を抱かざるを得なくなります。これはまさに私が、泥臭く、貧しかった時代の精神を有し居ればこそでありましょう。しかし、率直に申し上げまして、「何故そうなのか」という問いに対する回答は困難を極むるところと言わねばなりません。

 

 慢性的に鬱であればこそなるか、器量の頗る悪しきに依るものか、単に昭和趣味の昂じたるものというべきか。凡て該当せるものであるのか。

 

 いずれにしましても、ただ一つ申し上ぐるを得る事がございます。それは私にとって、SP盤時代の歌謡曲が好きであるという事は、私という一人の人間において非常に統一性の確保せられた状態であるという事であります。

 

 貧困にして泥臭き人格。垢抜けず困窮せる容姿。哀調切々というべきか我が人生。私はあらゆる点において斯の如く、本稿にいう所の「昭和歌謡的精神」が発露せられているのであります。ですから、本当に私と昭和歌謡曲というものの天命と言うべき運命的の一致には自ら嘆息する程であります。如何程違和感というものが存しないことか。

 

 とにもかくにも、明確に「こうであるからこのような精神なのである」と申し上げる事は何とも致しかねますが、上記の如く、私に関する事すべてにおいて「泥臭さ」や「貧しさ」という共通点が見受けらるゝという点にこそ、私が昭和歌謡を好むところと為す要因が汲み取り得るのではないかと感ずる次第であります。

 

 何と申しましても、本当に素晴らしい作品の数々であります。私は、この様な作品を素晴らしいと感ずる事を得る人格と精神とに生れ出でたることを、ただただ衷心より欣快に感じてやまないばかりなのであります。