陋見漫録

学窓に惟ふ。

陋たる所見は漫然と之を録す

 私がツイッターを始めたのは高校二年の九月の事でありました。元来携帯を持たぬ私が、級友たちとの連絡手段を持たんとして始めたというのがその目的でありましたが、いつしか短文の日記帳として日々の雑事を取り留めもなく書き記す「人生の記録」としての役割を担わしむる様になったのであります。

 

 爾来数年を経過致しまして、今や私も大学三回生。目下前期の定期考査に青息吐息の状態でありますが、ここで唐突ながらはてなブログ界隈への参入を試みに行ってみようと思い立ちました。

 

 何となれば、これは正しく、ツイッターの140文字制限では書ききれぬ彼是が私の頭の中に少なからぬ量堆積せられてきたからに他ならないのであります。

 

 あの日、あの時、あの瞬間。一体己が何を考え、何を思惟し、何を思索して居ったのか。これは凡そある程度の分量を以てせずして、その有する所の全きを得心せしむる事は、応に不可能なるべきものと言わねばなりません。

 

 畢竟当ブログはまさに日記帳である処のツイッターの長文版という点に帰するのであります。従って、ここにおいては短文投稿では尽くし得ぬ自らの陋見の彼是を、ただ只管に思い付くまま気の向くままに漫然と書き連ねて行こうと考えて居る次第であります。

 

 はてなブログが潰れるが先か、我が命の尽くるが先か、それは定かではありませぬが、10年、20年の星霜を重ねたる後、自ら投稿せし幾多の愚見、愚察を一瞥して「嗚呼懐かしき哉」と溜息の一つもこぼす事があるならば、日記帳の真髄の発揮せらるゝ事これに優るは無いと考うるのであります。

 

 文章乱にして拙、語法悪にして雑を極むるは最早如何とも弁明する能わざる所でありますが、御高覧の光栄を忝う致しました御仁に、そしてまたこれを後々恥辱と赤面との中に見る事となるべき後来の私に、この微衷が披歴を奉献せんとするものでありますれば、請い願わくは寸毫の愉しみをば与うるに至らんことを。